Oshi-Ire

心の押入れ。創作とか感想とか徒然なるままに。

幸せの話。(嘘です)

Twitterで、幸せってなんだと思うかと聞かれて、答えられずに放置するというクズっぷりを披露しました。

 

クズでカスなよきです。

 

 

 

 

ちなみに、ツイッタでも行ったけど、

 

美輪明宏さんの幸せ論

 

すぐなくなるんですよ。幸せって。幸せってイコール充足感なのよ。でもお風呂に入っていい湯加減でさ、疲れ果てて入ってて、「はあーいい湯だね幸せ」って思うでしょ?30分か1時間いてごさんなさいよ。のぼせちゃう。

 

これ、かなり心に刺さってる。名言だと思う。

 

まあ、きっと、色んな幸せ論ってあって、それに同感するかどうかはおいといて、大事なのは自分の中の幸せってこれだって掴むことなんだろなって。

 

 

 

で、ない頭振り絞ってた。

 

 

 

きっと、楽しいことは幸せだろうなって思って、じゃあ、楽しいことってなんだろうって考え始めたんだけど、

 

そういえば最近楽しいことってあんま無いなあって…………(白目)

 

 

 

いつからだろう、何でだろう……って記憶を漁ってたら、無意識に目を背けてたことに辿り着いた。

 

すごい、トラウマがあって。

 

高2の時から。

 

もう2度と味わいたくない様な絶望に今も膝を折ってて。

 

 

このことはもしかしたら記事にするかもだけど。

 

あの日の再来が怖いから、心は常に震えてて、面と向かうことが出来なくて、ずっと逃げてる。

 

そしたら傷つくことは無いけど、心からの喜びも無くて。

 

それ以前は、

悩むこともあったけど、嬉しいことは、細胞のひとつひとつが歓喜で震え上がるほど嬉しいことだってあった。

 

人より出来が悪くて、失敗重ねる中で、ひとつ、成功した、その音を聞いただけで、心のくもりも晴れた。

 

その音聞きたいがために失敗ばかりでも、もう1回、あと1回……って頑張れて、トータルで見れば、その失敗ごと自分の中では宝物のように存在してくれたり。

 

辛くて、1人泣きながら家に帰るような日々も、それが報われた瞬間は、友達と泣きながら抱き合って、その翌日は、その日のことが夢だったんじゃないかと思って、擦り切れるんじゃないかってぐらいその日のことを思い出してた。

 

 

 

あれが、私の思う幸せというやつで。

 

 

そういうことを思って。

 

 

あと、もうひとつ。

 

前々から幸せは相対評価だと認識してる。

誰かにとって幸せなことも、誰かにとっては別にそうでもないことって沢山あると思う。

 

例えば私は今刀剣乱舞やりながらこの文章書いてるけど、

鍛刀で鶴丸来ました。

 

でも!私は!鶴丸沢山もってるから!!3時間20分の文字を見て!「鶯丸ーーー!!」って内心思いながらクリックして!鶴丸で!!「あっ鶴丸」って呟きながら心の内では「くっそー」って思ってました!ごめんなさい!!

 

でもきっと鶴丸難民には羨ましいことなんだろうなあ。

 

…………何が言いたいかと言うと、幸せに絶対ってないんだろうなって。

 

 

幸福の青い鳥とか言うけど、青い鳥その辺にわんさか飛んでたら、ペットショップに並んで、「一家に1羽!」から「1人1羽!」ってどんどん普及して、ショップの値段も下がって、最終的には駆除したりし出して。

 

希少だから、欲しいけど持ってないって言う不幸があるから、それに幸せを見出すんだろうな。

 

幸せの背後には常に不幸せがいると思う。

 

 

 

……ベラベラ喋ったけど、

つまり私にとっての幸せって、不幸があることで成り立ってる気がする。

 

幸せ=不幸 説

 

 

不幸がなけりゃ幸せもない。

不幸ありきの幸福なんだって。

逆にそれを不幸と感じれるのは、それよりも普段のあなたが恵まれてるから。

 

不幸と感じれること自体がもう幸福なんだ!

 

だから最大級の不幸も、そのお陰で、何気ないことに幸せを感じられたりするから、ただただ悲しいっきりじゃないって。そう思えば、嫌なだけのものでもないのかなって。

 

そういう結論に至ったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ははっ

いっちょ前に語ったけど、特大ブーメラン…………

 

自分も変わっていかければならないと分かってはいるんだけどなあ………

 

こう書いて自分で自分を元気づけてる気がする。

 

 

 

 

とりあえずフォロワさん、これでいい?