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Oshi-Ire

心の押入れ。創作とか感想とか徒然なるままに。

長生きの話。

雑記

「死」ってなんですか?

人間の一生における、どの時点からが「死」ですか?

「生」と「死」の境目って何ですか?

 

有名な論議は、「脳死は「死」と捉えていいのか、「生」と捉えるべきなのか」。

 

私は「死」かなー。って中学生の頃からその答えは変わらないんだけど。

 

肉体の生存機能の消滅か、精神の消滅か。

 

友人は、「認知症になったら死だと思う」って言ってて、そう答えた人は初めてだったから少し驚いた。

 

つまり、自己の消滅。

 

 

脳死は結局、家族の同意さえあれば臓器提供ができるようになったんだっけ?

 

それでも、認知症になったからと言って、安楽死をさせれば殺人罪になる。

 

 

 

 

 

私の祖母は日に日に衰え、認知にもその影響はある。

 

母が祖母を介護する声を聞きながら、私は心もないことを思う。

 

 

「あんなふうになってまで生きたいとは思わない」

 

 

 

この考えはきっと若いのだろう。

もう20年もすれば、「あの頃は老いというものを何も分かっていなかった」と思うのだろう。

 

実際老いなんて知らない。

 

高校時代より徹夜がきつくなったな、筋力が衰えたな、あんな風にはしゃげなくなったな、ということはあるけれど、それは私の中ではまだまだ「冗談」の中に収めることができ、「老い」という鋭さをもって私を追い詰めたりはしない。

 

 

気は重くても、何かをすること、考えること、表現することに貪欲で、また、社会もそんな「個性」を私たちに求めてくる。

他人に流されたくない。

「自己」というものは私たちにとっては、もしかしたら心臓の動きよりも大切なものなのかもしれない。

 

 

それが段々となくなっていったら。

 

 

自己が無くなってもなお、肉体と魂をこの世にとどめ続けなければならないなら。

 

自分に関する何かはもうずっと空っぽで、ただ動き続ける体を誰かに世話される。

 

まるで大昔のロボットみたいだ。

 

 

これを「生」と捉えるのはやはり虚しすぎる。

 

 

こんな「長生き」って、長「生き」なんかじゃないや。

 

私たちの望むものはきっと、こんなのじゃないんだ。